柳ジョージさんの転機となったレイチャールズとの共演

柳ジョージさんが亡くなった。
末期の腎不全だったと聞いて悲しい。
腎不全の夫を持つ私はその苦しみを少しは分かっているので。

柳ジョージさんの歌を初めて聞いた時、「こんなにうまい人が日本にもいたのか」と思うくらいに感動してしまった。彼が広島のバンド(メンバーは主に崇徳高校出身者)と組んで“柳ジョージとレイニーウッド”を結成したころの事だ。
天性の音楽性とその魅力的な野太い声にすっかり虜になってしまった。


ところが、、、、

私の印象をすっかり変えてしまった「あの事件」(あえてそう言いたい)は30年近く前に起きてしまったのだ。
NHKテレビでレイチャールズと共演する柳ジョージさんをみてしまった。
見なきゃよかったのだが、見てしまった。
同じステージで同じ歌を二人で歌っていた。

曲は確か「ジョージア・オン・マイ・マインド」。
しかし、レイチャールズの偉大さの陰に柳さんはかすんでしまって、しかも悲惨なほどヘタだった。
あんなにうまい柳さんがひよこのようにおどおどと歌っていた。
レイチャールズのファンの夫も一緒に聞いていたが、夫にまで「かわいそう」と言わせてしまったのだ。
失望と同情と憤怒、、、色々な思いが私の中に沸き起こり、それ以後柳さんの歌を聴かなくなった。

柳さん自身もそれ以後ブラウン管からは姿を消したかのようだった。


それからとても長い時間が過ぎて、、、、
ある日NHKテレビで柳さんの特集みたいな事をやっているのにたまたま出会った。
たまたまだったが運命的なものを感じた。

その番組では、

「それまで歌のうまさには定評があり自信もあった柳さんに転機が訪れました。
 レイチャールズと共演した柳さんは、ズタズタに打ちのめされたのです。
 自分の歌が全く通用しない事を痛感し、一から学びなおしたのです」

のようなナレーションと共に柳さんの映像が。

そしてあの「レイチャールズ事件」から多くのモノを学んだ柳さんは、よりすばらしい歌唱力を身に着け、魂の歌を歌える柳さんへと変わっていったのだ。
レイチャールズと日本全国5か所を公演したという当時の柳さんにとって、それは地獄の公演だったに違いない。
柳さんの履歴には「栄光」として収められているレイチャールズとの共演だが、実は柳さんを転機へと導いた価値ある「挫折」だったのだ。

63歳は若すぎる。
もっと柳さんの魂の歌を聴きたかった。

追記
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by dori3636 | 2011-10-16 07:15

花と野菜と時々ゴルフ


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