最後の犠牲者の大屋弘子さんが突然蘇って、、、
2014年 09月 19日
最後の犠牲者大屋弘子さんと思われるご遺体が見つかりました。
何気なく大屋弘子さんのこれまでの人生を想っていると、
教師、
浜田、
などの言葉に引っかかりました。
教員をされていた経験があり、しかも島根県浜田市のご出身と言う事は、
私との接点がきっとある筈なのです。
結婚されていたそうなので、旧姓がわかれば、弘子さんと私の点と線はつながる筈なのです。
色々調べていて、弟の浜野順次さんが行方不明の弘子さんを心配されている記事をみつけました。
あっ、そうだきっと弘子さんの旧姓は浜野さんなんだわ!
浜野弘子さん、、、、、、、、、
遠い昔、
この名前には出会っている、、、
深い霧の中の弘子さんを探し求めて、
私の記憶がすこ~しずつ蘇ってきました。
「サクラサク」
私の大学合格を知らせる電報を打って下さった高校の先輩がいました。
もうとっくに忘れてしまっていたけど、
たしか浜野さんだったような。
高校の同窓会名簿や、大学時接点がありそうなサークルの資料などを探してみて、
ああ、やっぱり、
「大屋弘子」さんは 「浜野弘子」さんだったとの確信を持ちました。
突然私の前に現れた弘子さん。
思い出の写真が残っていました!
大学入学時、浜田高校の先輩たちが歓迎ハイキングを開いてくれました。
弘子さんは後列のメガネの女性です。
(私は後列左から3番目)
控えめでシンが強い女性の印象があります。
なぜかこんな写真もありました。
右の男性のお世話を弘子さんがかいがいしくやいているように見えますが、、、
偶然こう写っただけですけど。
一時期同じサークルに所属していたこともあったのですね。
「ハルモニア」という文集に弘子さんの寄稿があります。
その後の弘子さんが歩まれた人生は、
産経新聞の記事から知ることができます。
教員を続けながらご両親と暮らされ、
ご両親を見送ってからは一人暮らしを寂しいと感じるようになられたのだとか。
お見合いをして、今回の土砂災害で亡くなったご主人の大屋幸雄さんと結婚をされたのです。
晩婚だったためお子さんはいらっしゃらなくて、
お二人で仲睦まじく暮らされていたことを知りました。
晩年の弘子さんの写真は産経新聞でお借りしました。
弟さんのお孫さんを抱いて、ご夫婦で幸せそうに微笑んでおられます。
上の写真を見る事ができて、
私の心に灯りがともりました。
弘子さんの晩年は幸せだったと確信できます。
あんな優しい笑顔の弘子さんと再会できたのはとっても慰めになりました。
最後の最後まで土砂の中で辛かった事でしょう。
広島を襲った土砂災害が、半世紀近くを過ぎての弘子さんとの悲しい再会になってしまいました。
ご主人の幸雄さんは荼毘に付されましたが、
「旦那さんと一緒に」と思って弟の浜野さんは葬儀を待ってもらっているのだそうです。
ご夫婦で仲良く旅立たれる事になります。
心からご冥福をお祈りいたします。
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何気なく大屋弘子さんのこれまでの人生を想っていると、
教師、
浜田、
などの言葉に引っかかりました。
教員をされていた経験があり、しかも島根県浜田市のご出身と言う事は、
私との接点がきっとある筈なのです。
結婚されていたそうなので、旧姓がわかれば、弘子さんと私の点と線はつながる筈なのです。
色々調べていて、弟の浜野順次さんが行方不明の弘子さんを心配されている記事をみつけました。
あっ、そうだきっと弘子さんの旧姓は浜野さんなんだわ!
浜野弘子さん、、、、、、、、、
遠い昔、
この名前には出会っている、、、
深い霧の中の弘子さんを探し求めて、
私の記憶がすこ~しずつ蘇ってきました。
「サクラサク」
私の大学合格を知らせる電報を打って下さった高校の先輩がいました。
もうとっくに忘れてしまっていたけど、
たしか浜野さんだったような。
高校の同窓会名簿や、大学時接点がありそうなサークルの資料などを探してみて、
ああ、やっぱり、
「大屋弘子」さんは 「浜野弘子」さんだったとの確信を持ちました。
突然私の前に現れた弘子さん。
思い出の写真が残っていました!
大学入学時、浜田高校の先輩たちが歓迎ハイキングを開いてくれました。
弘子さんは後列のメガネの女性です。
(私は後列左から3番目)
控えめでシンが強い女性の印象があります。
なぜかこんな写真もありました。
右の男性のお世話を弘子さんがかいがいしくやいているように見えますが、、、
偶然こう写っただけですけど。
一時期同じサークルに所属していたこともあったのですね。
「ハルモニア」という文集に弘子さんの寄稿があります。
その後の弘子さんが歩まれた人生は、
産経新聞の記事から知ることができます。
教員を続けながらご両親と暮らされ、
ご両親を見送ってからは一人暮らしを寂しいと感じるようになられたのだとか。
お見合いをして、今回の土砂災害で亡くなったご主人の大屋幸雄さんと結婚をされたのです。
晩婚だったためお子さんはいらっしゃらなくて、
お二人で仲睦まじく暮らされていたことを知りました。
晩年の弘子さんの写真は産経新聞でお借りしました。
弟さんのお孫さんを抱いて、ご夫婦で幸せそうに微笑んでおられます。
上の写真を見る事ができて、
私の心に灯りがともりました。
弘子さんの晩年は幸せだったと確信できます。
あんな優しい笑顔の弘子さんと再会できたのはとっても慰めになりました。
最後の最後まで土砂の中で辛かった事でしょう。
広島を襲った土砂災害が、半世紀近くを過ぎての弘子さんとの悲しい再会になってしまいました。
ご主人の幸雄さんは荼毘に付されましたが、
「旦那さんと一緒に」と思って弟の浜野さんは葬儀を待ってもらっているのだそうです。
ご夫婦で仲良く旅立たれる事になります。
心からご冥福をお祈りいたします。
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by dori3636
| 2014-09-19 12:07
| 家族・友人